大学はモラトリアムか。

某所で学生の有り方について極論的な意見ばかり書いてしまったので反省だなあ。人の生き方はそれぞれで他人が口を挟むことじゃないよなあ。


高専に入学したとき、さる教官が「今日から君たちは『学生』です」と言ったことが今も胸の奥に残っている。生徒と学生の違いは、学ぶことの主体性の違いと言っていたように記憶している。つまり、生徒は「教わる」立場であり、学生とは「学ぶ」立場であるということだったと思う。自分の中でずっと誤解していたのだが、「学ぶ」ということは板書写しや出された課題を解くことでは無かったんだなと。でも、計らずとも多くの課外活動から「学ぶ」ことができたと思う。


将来やりたいことがあやふやで、取りあえずやりたいことを見つけるために進学するのは、つまり社会に出ることを引き伸ばすだけの狭義のモラトリアムであると批判したかった。学校に行けばその後の進路を決めるような出会いもあるかもしれない。でも、社会に出ても出会いのチャンスはある筈で。やりたいことを見つけるまでの間漫然と板書をノートに取るのなら、ちょっとでも稼いで税金を納めたほうが社会の役に立つだろうと。
ただ、現在大学生で目的が無いなら辞めて仕事しろだとか、現役高校生に目的が無いのなら大学行くなと言いたい訳じゃなくて。みんなが自分らしさを誇れて、周囲に流されなくて済むような世界になればいいなと思うわけですよ。