粉ミルクとか。

仏様や神様が出来たことで人間は死について考えるのを止めたかってことですよ。宗教は大衆に道理を説く便利な道具だったわけだが、結局それが生死について考えることを奪ったのではなかろうかと。
それでも皆が宗教を信じている間は上手くまわっていたんだろうなあ。でも、現代になって誰も霊魂の存在を信じなくなって、途端に子供に殺生の是非すら説明できなくなったわけで。


便利な道具が出来たから考える力を失った、というのは真かもなあ。ただ、流通って道具が無ければ未だに人は野山で鳥獣を狩らなきゃいけない訳だから、大変不便だということを想像するのは難くない訳で。考える力を失ったわけではなくて、別なことを考えられるようになった、というほうが正しいんじゃないかな。


大多数の人が携帯電話無しの生活が考えられないのと同様に、PC無しでの生活が考えられなくなってきているんじゃないかと思う。デジタルデータには実態が伴わない、クォンタイズされる過程でビットの隙間に消えていくデータがある等批判はあるかもしれないけど、データの向こう側にいるクリエイターの存在感とかそういうものは文庫とかそういう形になっていないとダメ?この先の未来は想像力という究極のDA変換装置を活かしていくべきなのかも。